LIFE OR MYSELF 子どもたちの命を守るか、厄介な大人とレッテルを貼られるか…悩む必要ある?
自分の子どもが
生まれた日。
大人になってから、
モンちゃんは久しぶりに
泣きました。
役所に出生届を出し、
住民票を一部貰ってくると、
そこには自分のつけた名前が
新しく追加されていて
より感慨深くなったのを
昨日のように思い出します。
このブログを読んでくださっている
あなたも、
似たような思いを
されてきたでしょう。
しかし、
世の中には
中々自分のお子さんを
上手く愛せない親、
愛情を感じ取ることが
できないでいる
子どももいます。
モンちゃんは教員として、
担当している子どもたちにとって
家族の次に
愛情を与えてくれる
大人でありたいと思っていました。
島田洋七さんの
「佐賀のがばいばあちゃん」
のなかで、
運動会の日に
弁当をもってこれなかったら
先生が
「腹が痛いから
先生の弁当を食ってくれ。」
と弁当を毎年渡してくれた
というエピソードがあります。
「愛」ですよね!
そんな教師に憧れました。
今だったら
「不公平だ!」
「ウチの弁当も用意しろ!」
「アレルギーや食中毒があったら
どうするつもりだったんだ!」
となりますね…。
昭和の時代は
思いっきり先生に
ひっぱたかれもしましたが、
思いっきり愛情も
注いでもらえた時代でした。
昭和に教員やりたかったなあ。
ある先生の体験談
ある知り合いの指導主事
(元々中学校の先生)
の経験ですが、
クラスメイトと口論になった生徒が
暴れたあげく、
彫刻刀を取りだし
相手のお子さんに
振り上げたことがあったそうです。
その先生は
刃物を持ったお子さんを
力ずくで取り押さえました。
教育委員会にも
複数回呼び出しを受け、
最終的には厳重注意ということで
大きな処分はされることは
ありませんでしたが、
一歩間違えれば
もっと重い処分を
受けることになったかもしれません。
この先生は運が良かったです。
似た事例で
悪人にされてしまう方も
いますから。
自分の子どもが
刃物を向けられた側であったら、
先生に対して本当に
感謝することでしょう。
逆に制止された側の親であれば、
考えは様々かもしれません。
「ご迷惑をおかけして
申し訳ありませんでした。」
という方もいれば
「やりすぎだ。体罰だ。」
という方もいるでしょう。
そこに愛はあるのかい?
力で物事を
解決しようとすることは
絶対に許されません。
ただ、止めなければ
他の誰かの命が
危険にさらされるという
タイミングで
「止めない」
ほうが悪ではないでしょうか。
愛する教え子を
加害者にさせないための
全力の「愛」だと思うのです。
いじめやネットの
書き込みなんかも
似てるんじゃないですかね。
傍観者、
外から否定している方が楽で、
自分は止めない。
勇気を出して発言した人が
袋たたきに合う。
大人の社会でもありますよね。
自己犠牲の精神が強い人ほど
ババくじを引くことになる構図。
リスクマネジメントによって
一時自分のことは守れますが、
根本は解決されず
他の誰かが傷つくのを見て
自分じゃなくてよかったと安心する。
または無関心。
僕は愛する子どもたちに
自分しか愛せない人間には
なってほしくないなあ。
きれいごとで済ませない道徳。
もっと泥臭く、
人間臭く、人を愛し、
愛されませんか?