差別を作るもの 〜子供の未来のために理不尽と戦え!〜
家庭内で、
父親である僕抜きで
遊園地に遊びに行くなどの
差別を受けているモンちゃんです。
え?
これはどこの家庭でも
あることなんですか?
父親の立場って…(泣)
一昔前までは
人権という言葉が
声高に叫ばれていましたが
最近あんまり聞かなくなったような
気がします。
コンプライアンスに
引っかかるからとか、
そういう活動は一応してますよ
ってのはあるんですが、
近年、
自己責任論も強くなってきましたし、
その風潮なのか影響力は
弱いですよね。
正規労働者と非正規労働者の待遇。
ヘイトスピーチ。各種ハラスメント…。
表面上、
「問題」とは言われていますが
氷山の一角がネットや報道で
世に出て、批判されて
数か月後には忘れられる。
そんなことの繰り返しです。
社会に適応すべく、
「差別」と「区別」の基準を
あいまいにして、
「世の中はこういうものだ。」
と納得している、
納得させられている方も
多いのではないでしょうか。
解決へ
どんどん進んでいっているようには
見えないですよね。
原始人の化石でも
手足が不自由な人を
植物の蔓で縛り付けて
暴行を行った形跡のあるものが
発見されています。
人間は自分より見下せるものを作り、
虐げたいという本能が
あるんですかね?
とある田舎の学校の話
昔、特定の地域に住む人に対し
根強い偏見が残る地域の
学校で勤めたことがありました。
学校に来るとみんな平等に
扱われましたが、
学校から一歩外に出ると、
「Aちゃんとは遊んじゃいけない。」
「仲良くしちゃいけない。」
と、自分の子を
特定の地域のお子さんから
離そうというという大人が
少なからずいました。
勿論、気にしない方は
気にしないですが、
助けてくれるわけでもないので、
差別を受けたお子さんは
大きく心に傷を受けたままでした。
僕にできることは、
子どもたちの若い世代に
このような偏見を残さないように
声をかけていくことくらいでした。
ある日、家で妹と
妹の友達と話していた時、
その地域の話になりました。
僕と妹は
「かわいそうだよね。」
という話をしていたのですが、
妹の友達は違いました。
「私は『かわいそう』って思わない。
なんか『自分じゃなくて良かった』
みたいに感じる。」
「『かわいそう』よりも、
なんか『苦しい』。
当時高校生だった女の子の言葉に
僕は衝撃を受けました。
かわいそう…。
確かに自分の中に
傍観者的な感覚があったことに
気づかされました。
その後、僕は
「かわいそう」という言葉を
極力使わないようになりました。
本当に共感性をもっていたら
かわいそうじゃ済まないですから。
僕らが子どもたちにできること
しかし、個人で意識を変えても
世の中に対しては無力です。
いまだに、僕たちにできることは、
合理的な『区別』の違いを
教えること。
育てること
くらいです。
モンちゃんの子どもはお調子者ですが
分け隔てなく人と接することが
できているようです。
もう少し大きくなったら一緒に
カラオケでブルーハーツの
「青空」を歌おうと思います。